札幌高等裁判所 昭和55年(ネ)330号 判決
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【判旨】
一訴外大内秀夫が控訴人北海道の札幌方面東警察署北二六条警察官派出所に勤務する巡査部長(以下同人を大内巡査部長という)であること、昭和五二年五月一三日午後二時を過ぎたころ、同市東区北一九条東八丁目の被控訴人経営の自動車修理工場前路上において、大内巡査部長が被控訴人に対し運転免許証の提示を求めたうえ、逮捕をする旨告げて、手錠を取出し右手に持つたこと、被控訴人が右手尺骨神経を切断する挫裂創の傷害(以下本件創傷という)を負つたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二被控訴人は、前記本件創傷は大内巡査部長が右手に持つた手錠を被控訴人の右手首めがけて振り下ろして強打したことにより生じたものであると主張するので検討する。
1 <証拠>中右認定と異なる部分は、右各証拠に照らし採用できない。
(一) 大内巡査部長は、前記当日の昭和五二年五月一三日午後二時二〇分ころ、巡回、交通指導等のため、原動機付自転車を運転して、前記札幌市東区北一九条東八丁目の被控訴人の自動車修理工場付近に至つたところ、駐車禁止区域である原判決添付別紙図面表示①(以下単に図面①、②、③などと記載する)の場所付近路上に普通乗用車(札五五に二〇九一号)が駐車してあるのを認めたが、右北一九条通は以前から駐車違反が多く付近住民から苦情や強い取締の要望が多く寄せられていたことから、右同車の警音器を吹鳴して運転者を呼んだところ被控訴人が来たので、運転免許証の提示を求めたが、同人はこれを無視し図面②付近の位置まで右乗用車を移動した。
(二) そこで、同巡査部長は、右移動位置に行き、被控訴人に対し、運転免許証の堤示を求めるとともに氏名を尋ねたところ、被控訴人は駐車違反くらい誰でもやつている、免許証は見せる必要がないなどと言つて応じないまま図面①の方向へ小走りで行つたので、同巡査部長はその後を追い図面③付近で追いつき、再び運転免許証の提示及び被控訴人の氏名、住所を明らかにするよう求めたが同人はそれに応じなかつた。
そのうちに、同巡査部長による再三の右要請に対し被控訴人が同巡査部長に対して、税金泥棒とか、それほど言うなら警察手帳を見せろ、などと大声で言い出したので、同巡査部長は、これ以上の説得は無理であると判断し、応じないなら駐車違反で逮捕する旨を告げ、携帯していた手錠を取出し、被控訴人の出方によつては逮捕をするべく手錠を右手に持つた。
(三) しかし、被控訴人は両手を背後に組み、更に反抗的態度をとつたため、同巡査部長は被控訴人の左腕上膊部をつかんだところ、同人はこれを振り払つて逃げ出したので、同巡査部長は手錠を掛けるに至らず(この点については後に更に説示する。)、被控訴人の後を追つたが、同人は、修理工場前の車道に向けて駐車中の貸物自動車(タンクローリー車、札四四ね九六四五、駐車位置は原判決添付別紙図面参照、以下駐車車両については同様)の周囲を、右手で車体をさわりながら右回りに一周し、更に同車の左バックミラーを握つて同車の前を回ろうとしたところ、前のめりになり同車の前面に取り付けてある危険物積載表示板付近で大きくよろめいたが、すぐ体勢を元に戻し、原判決添付図面表示点線矢印のような経路で、前記修理工場前に駐車中の二台の普通乗用自動車(札五五み九二五五のスプリンター、札五す六五五四のカローラ)の間を走り前記修理工場内に逃げ込んだ。
(四) そこで、同巡査部長は追跡を中止し、前記違反駐車車両のナンバーによつて違反者の氏名、住所の捜査をすることにして、図面②付近に戻り前記車両のナンバーを書留めた。他方、被控訴人は、修理工場入口付近にいた同人の息子小橋守及び同人の友人長船欣哉から、被控訴人の手首から出血していることを指摘され、右両名から負傷部位を布で巻いてもらい手当をした後、前記車両ナンバーの書留めを終えて図面③付近に戻つて来た同巡査部長に対し、お前の手錠で切られたなどと文句を言つたうえ、前記走り回つた車両の周囲を何かを探すような態度で歩き回り、そのうちに到着した救急車でさねふじ外科整形外科医院に行きその治療を受けた。
2(一) 前記の通り大内巡査部長が手錠を取出したことは当事者間に争いがないところ、被控訴人は、前記の通り右手錠により本件創傷を負つたと主張し、原審及び当審におけるその本人尋問中において、図面③付近で同巡査部長が被控訴人の右手の親指を除く指をつかんでねじるようにしたうえ、手錠を振り上げて手首をめがけて振り下ろしたが、その時かなり強い刺激を感じた旨供述し、証人長船欣哉は大内巡査部長が手錠を振り上げた旨証言をしている。
(二)(1) しかし、<証拠>中には、図面③付近の地点で、大内巡査部長が逮捕するぞといつて手錠を出したところ、被控訴人は後に両手を組んで、掛けるなら掛けうと肩と胸を突き出し、同人と同巡査部長は互に左半身が向い合うような形で相対したが、同巡査部長が被控訴人の左腕上膊部をつかんだら同人は同巡査部長の手を振り払つて逃げ出したもので、手錠は被控訴人に全く触れていない旨の、前記被控訴人の供述に相反する記載及び証言があり、前記証人長船欣哉も、同巡査部長が手錠を振り下ろしたのは見ていないし、同巡査部長がつかんだのは被控訴人の左手だと思う旨証言している。
(2) そして、<証拠>によれば、被控訴人の負つた本件創傷は、右前腕の手掌側関節近くの正中部から尺側(小指側)にかけて、前腕長軸に対しほぼ直角方向に長さ約3.5センチ、深さ約三ないし四ミリのほぼ直線状の創傷であるが、創縁は直線状だが整鋭ではなく微細な凹凸を伴い創端には幅が全くない挫裂創(又は挫創)であり、同創傷の周辺には他の創傷は全くなく、かつ尺側手根屈筋は断裂しておらず、その下層内部に位置している尺骨神経、尺骨動・静脈の完全断裂があることが認められ、かつ右のような創口の幅の極めて狭い裂隙状の挫裂創を惹起する成傷体の作用部は幅が殆ど無い直線状のもの、すなわち稜かそれに近い薄板(約0.2ないし1ミリ前後)の側面で、長さが3ないし3.5センチ以上のものであつたと推定することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そして、<証拠>によれば、大内巡査部長が右手に持つた手錠は結束部、回転部、非回転部に構造上これを分かつことが出来るが、右手錠の各部の長さ、厚さ及び形状と被控訴人の前記挫裂創の創口、創縁、創端及び創の周辺の各状態とを対比するときは、手錠の右各部分はいずれも本件創傷の成傷器になりうると認めることが出来ないのであつて、証人大和田修の証言中一部右認定に反する部分は、前掲各証拠(同証人の他の証言部分も含む)に照らし採用出来ず他に前記事実を肯定するに足りる証拠はない。
他方、前記1(三)説示の通り被控訴人が前記修理工場前に駐車中のタンクローリー車の周囲を走り回つた際、同車の前面に取り付けてある危険物積載表示板付近で大きくよろめいたものであるところ、<証拠>によれば、右危険物積載表示板の厚さ、一辺の長さ、辺縁の形状、材質からして、それが人体に激突するときは、人体側の激突部分の長さに応じ種々の長さによる直線状の創傷を生じさせ、それは切創に似ている程整鋭な細い直線状の創となり、その創端には認識できる程度の幅はなく直線の終点のように見え、その場合、内部所見としては弱い種類の組織すなわち神経、血管は挫滅離断し、強い種類の組織すなわち筋は挫滅を免れて離断せず、従つて、上層の組織には離断がないのにその下の深層の組織に離断が生ずるという挫創又は挫裂創を発生させる可能性があるのであつて、右危険物積載表示板は本件傷害の成傷器になりうると認められ、右の認定に反する証拠はない。
(3) また、<証拠>によれば、札幌方面東警察署の警察官は、昭和五二年五月一三日午後五時一〇分から五時三〇分まで及び翌一四日午前九時四〇分から九時五〇分までの間に、道路交通法違反被疑事件の証拠保全のため被控訴人の前記修理工場前付近の実況見分を実施したが、前記タンクローリー車の後部路面上、同車と前記スプリンターの間の路面上、同車と前記カローラの間の路面上に小豆粒大から大豆粒大の血液ようの痕跡が十数個、前記タンクローリー車の右バックミラーの付根部分に小豆粒の血液よう痕跡が二、三個、前記スプリンターの右前フェンダーの位置と前記カローラの右側トランク部分にそれぞれ十数個の血液ようの乾燥した痕跡が付着しているのが認められ、<証拠>によれば、大内巡査部長の手錠には血痕の付着を証明できず、また前記五月一三日の実況見分の際採取した前記タンクローリー車の前部の血痕ようのものについては血痕であることの証明は得られなかつたが、同車の後方及び同右前部の血痕ようのもの及び前記カローラ右後部の血痕ようのものは、いずれも人血痕と認められ、その血液型はO型の反応を示し、また被控訴人の唾液からの血液型はO型又は非分泌型の反応を示したことが認められる。
ところで、① 前説示の通り本件創傷は尺骨の動・静脈の断裂を伴つているものであるところ、<証拠>によれば、挫創又は挫裂創の場合は切創と異なり直ちには多量の出血をしないことがありうるが、時間が経過すればいずれ大量出血する時期が来ること、尺骨動脈は皮下組織の深い位置にあることから受傷と同時に血が吹き出す状態にならないが、次第に強い力で流下するようになり、出血量も増加してくると考えられること、布で創傷を強くしばり創縁が引き寄せられ接着したような締め方をすれば血が外部に流下しないことがありうるが、しばり方によつて血が滴下することはありうることが認められる。② そして、被控訴人の本件創傷からの出血状況は、まず被控訴人が修理工場に走り込んできたときの状態は、<証拠>によれば、手首から血が吹き出すといいうる程度の勢で流れ落ちる状況にあつたことが認められ、本件創傷部位を布でしばつた後の状態は、<証拠>によれば、血が布の外から相当頻繁に滴下する程ではなかつたが、布から浸出した血が間欠的に滴下するという状況であつたと認められ、更に、<証拠>によれば被控訴人が救急車でさねふじ外科整形外科医院に来院した初診時の状態は、創傷部位は細い布でしばられており、出血が多い状況であつたことが認められる。③ 更に、前記1(三)説示の通り、被控訴人は、本件創傷部位を布でしばつた後、同人が走り回つた前記三台の車両の周囲を何かを探すような態度で歩き回つていたことが認められる。④ また、仮に図面③付近において被控訴人が受傷しているとすれば、前記1(三)説示の通りその後前記タンクローリー車を一周した後同車の左バックミラーを右手でつかみその前を回ろうとしたところ大きくよろめいたことが認められるのであるから、少くとも同車の左バックミラー付近及びその前後の地上で被控訴人が走つた個所には血液が付着又は落下していることもありうるはずであるが、前段で説示した通り右の事実は全く認められない。
以上の各事実によれば、前記タンクローリー車の後部路面上及び同車と前記カローラとの間の路面上並びに前記スプリンター前部に血痕が認められるとしても、それは、被控訴人が創傷部位に布を巻いた後右車両の周辺を歩き回つている間に除々に出血が多くなりそれが落下又は付着したものと推認するのほかなく、<証拠>中右認定に反する部分は右に掲記の各証拠に照らし信用できず、他に右推認を覆すに足りる証拠はない。
(三) 従つて、右(二)において認定した事実によれば、<証拠>中、大内巡査部長が図面③付近において被控訴人の右手の親指を除く指をつかんでねじるようにしたうえ手錠を振り上げて被控訴人の手首をめがけて振り下ろし、それにより被控訴人が本件創傷を負つた旨の供述部分は到底採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
三以上の通りであつて、本件全証拠によっても、被控訴人の本件創傷は大内巡査部長の手錠の接触により生じたものとは認められないというべきであるから、被控訴人の請求はその余の点につき判断するまでもなくすべて理由がな<い。>
<安達昌彦 澁川滿 藤井一男)